on a good day

dewaltの工具とかAndroid とかロードバイクとかについて書いてます

ぐるり下北半島 フィナーレ

ぬいどう食堂をでると、すぐに登りになります。

と、野生の猿の群が。カメラを向ける余裕もなく、猿たちに見送られます。

激坂ではありませんが、じわじわと登り続け、さすがに足が悲鳴を上げ始めました。ダンシングしたときに、膝上あたりの筋肉がつりそうになります。もうダンシングは無理。シッティングで回し続けるのが精一杯です。右膝にも違和感、というより痛みが出て来ました。

ただ、次第に下りになり、海岸沿いの漁村沿いまで降りてきました。海峡ラインの山道は終わったようです。途中、巨大な岩の陰を過ぎ、(願掛け岩という名所でした)佐井村を過ぎ、やっと大間についたのは夕方4時。むつ以来のコンビニで補給します。

ここからはほぼ平坦。ですが、海沿いのため、強い風と、今までにない交通量で、なかなか快適とは言い難い道です。

道は工事のため相互通行の場所も多く、海から時折かなり冷たい風が吹き、ひたすら耐えてペダルを回します。

大畑というところから中に入り、むつ市内まで20キロ、(その手前にちょっとした登りがあり、これが足にこたえる)

朝8:30くらいに出て、7:30過ぎに帰ってきました。

実に充実したライドでしたが、いや~疲れた!

でも本当にいい道だった。

そのあとは少し季節外れでしたが、アンコウ鍋をご馳走になり、下北満喫の一日でした~

(実は下北は風間浦村は日本一のアンコウの水揚げ量を誇るそうで、2月くらいには、アンコウ祭りなるものが開かれるようですよ。普通食べられないアンコウの刺身や握りを楽しむ事ができるらしい。…そこまでいくのが大変かも)

stravaのアカウントがあると、こんな動画を作れます。relive.ccというサービスです。注意点は、stravaのログを公開にしておくことです。数時間後にメールで通知が来ます。

こんなの

Check out “around shimokita” on Relive! 

www.relive.cc

 

お試しあれ。

 

 

 

 

 

ぐるり下北半島 その3 天下の奇勝 仏が浦

海峡ラインと格闘すること数十分、ついに今回の目的地でもある仏が浦に到着!

って、ここでいいのっていうくらい古ぼけた看板。どうやら枝道を下ると駐車場があるようで、おそるおそる下る…って急坂!多分10%越えの坂道。多分戻りは登れないな…と思いながら下ると駐車場。車二、三台。天気のせいもあるけどなんだか薄暗くてじめっとしています。

駐車場の脇に遊歩道入り口、みたいなところがあるけど、仏ヶ浦とはどこにも書いてない。まあたぶんここでしょ、と自転車担いで乗り込むと、ちょっといったところにやってない売店、その脇にいかにも昭和な手書き看板。ここから500m…だって。

一瞬やめようかという思いがよぎります。すでに12時を回ってるのにまだ50kmくらい。のこり100km以上、海峡ラインはまだ続く。いけるのか、自分?

とはいえ、ここまで来て見ずに引き返すのは悔いが残る。

砂利道の下りをバイクを押しながら進みます。

300mくらいいくと、木の階段が現れました。


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下北半島の北側はほぼ断崖絶壁。たぶんここから急な階段で下るようなので、バイクは四阿に置いて置くことにしました。

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思った通り、急な階段がずっと続いていきます。ビンディングで下るのはつらいけど、滑らないよう慎重に下ります。

階段を下り続けて、やっと下に到着。

そして、この景色。


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ビンディングで頑張って下ってよかった。


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まるで地球じゃないかのような奇岩の数々。


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海は青く、海底が見える。(海栗がたくさん)


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パノラマで撮ってみた。

ここは船着場。たいていの人は少し先の佐井から遊覧船で海上から観光するらしい。道路側が寂れているわけですね。

 

しかし、この景色…標高は大したことはないけれど、海と山と奇岩が組み合わさってできた奇跡の絶景です。写真では伝わりにくい。一度は見る価値のある奇勝といえるのではないかと思います。

戻りは(ビンディングで)階段をえっさえっさと登り、砂利の坂道を(ビンディングで)自転車引きながら戻り、奇勝はいいけど、足に来た…(^◇^;)

 

案の定入り口の急坂は乗って進めず、本道まで押して登り、そしてまた海峡ラインを進みます。時間は1:30くらい。1時間近くを仏ヶ浦に費やしてしまって、あとはひたすらペダルを回さなければ…

 

下北半島北部に聳える縫道石山(626m)ですが、佐井村福浦というところに有名な店、その名も「ぬいどう食堂」があり、地元の方のオススメでした。お腹も空いたし、後半のためにもしっかり食べないといけないし、何よりせっかく来たのだから評判の店に寄らない手はない。

 

店にはいると、バイカーが二人、おばちゃんと談笑しています。奥の座敷には食べ終わったお膳がたくさん。お昼にはたくさんのお客さんが来たようす。

ちょうど海栗丼の時期らしいのですが、もう売り切れらしく(こちらは時間が時間だけに、期待はしてない)歌舞伎丼というのをいただきます。


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いかと、いくら、あとちょっと残っていたウニを乗せてもらって…いや~おいしかったです。ちょっとご飯少なめにしてもらったんですが(もたれるかな…と)杞憂でした。普通盛りでも全然いけましたね。

 

しばしの休息。7月には下北半島ロングライドのイベントがあるようで、ポスターも貼ってあったし、おばちゃんも自転車乗りには慣れてる様子です。

 

さて、長居は禁物。おばちゃんにお礼をして、進みます。この福浦というところは、福浦歌舞伎という伝統芸能があるらしく、その看板などを横目に再び騎乗。海峡ラインの山岳部分も後ちょっとの、筈…です。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぐるり下北半島 その2 

川内ダムヘの登りは、かもしかラインと名付けられており、渓流沿いの緩やかな登りを登っていく感じになります。

 

途中の道では、時折車が通るだけ。虫の鳴き声と呼吸の音、カーボンリムがコォォォーと鳴る音。それだけが響く中、ペダルを回し続けます。

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そんな森の中を道は続きます。

(なのに一人で歩いているおじいちゃんがいた…)


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途中、むつ市の天然記念物、銀杏木の大イチョウに出くわします。これ、樹名前半の"銀杏木"は、地名らしく、ぱっと見、「?」な樹名ですね。
 案内板によれば、昔、諸国巡礼中の旅の僧がこの地で倒れ、病いに伏した際、道端に立てて置いた杖が根付いて、この大イチョウになったという言い伝えがあるそうです。
 
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渓流が横を流れる中、登り続けます。ところどころ淵がありますが、魚影は見えず。

勾配がしだいにきつくなり、シッティングでひたすら漕ぎ続け、ついに川内ダムに到着しました。


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ダム湖のほとりには、道の駅があります。

この川内ダムもまた、本州最北端のダム。ダム湖のほうは、ダム湖100選にも選ばれています。

道の駅は意外にも観光客らしき人たちで賑わっています。…ので、ベンチでダム湖を眺めながら補給食を食べ、ドリンクを詰め直して、再出発。

ダム湖を出てしばらくすると、野平高原(!)というところにでます。下北半島には高原地帯もあるんですね。知りませんでした。

そこからしばらく下ると、いよいよ海峡ラインに突入です。

この坂の向こうに、奇勝、仏が浦があるのです。シッティングでジワジワと登り続け、下りをこなしていきます。今回はいつもとは違う、そう、BORAを履いての初ヒルクラなのです。

カーボンホイール、特にクリンチャーで怖いのがブレーキによるリムの溶解です。チューブラーならまだしも、クリンチャーで溶解したらビードが外れて、大事故になります。

ですが自分は下りは苦手です。だからといってブレーキを引きずったらリム溶解です。

思い切ってブレーキを解放し、コーナーの先を見るようにして、ブレーキはコーナーの手前でかける。

 

ダウンヒルうまい人であればなんということはない下りでしょうが、苦手な自分としてはコツをつかむのに時間がかかります。そういう意味でもカーボンホイールにしたというのはある意味背水の陣になったといえるかもしれません。

 

上り下りを繰り返し、やっとサインが見えてきました。仏が浦についたのです。

 


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ぐるり下北半島

下北にいってきました。

下北沢じゃないです。本州の最果て、下北半島です。

半島ですが、ほぼ陸の孤島的な感じを醸し出してます。

青森、八戸から車で二時間。強風でよく止まる電車も走ってますが、それも二時間。

最果ての地に来た感が半端ないです。

 

今回は、その下北半島の先の方(よく鉞(まさかり)と呼ばれるところですが、その鉞の刃の部分ですね)を走ってきました。

 

 
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走行距離151.5km、獲得標高1757m、走行時間7:45といういい感じロングになりましたo(^-^)

 

当日の天気は晴れ。北の果てとはいえこの時期、26℃くらいまで気温は上がります。ただ、朝は涼しく、アームウォーマーを装着して出発。後で書きますが、下北の変化に富んだ地形は天気予報では予想もできない、いろいろな気象をもたらす事を身をもって知ることになるのでした。

 

出発地点のむつ市は旧海軍時代から大湊に軍港があり、現在も海自の基地が置かれています。今回はむつ市から時計回りに、川内→佐井→大町→大畑→むつという行程になります。

海岸沿いをゆるゆると走ります。自衛隊基地を抜けていくとコンビニがあります。実はこの先大間までコンビニがありません(゚o゚;

ので、ここでしっかり補給をしないと大変なことになりそうで、ウィダーイン、羊羹3つ、どら焼き、一口大福を買い込みます。

ドリンクは出発前にこちらを入れてきたのでとりあえずは大丈夫。

途中、ワイナリーな横を通過しました。サンマモル・ワイナリーという、本州最北端のワイナリーだそうです。(別の機会に飲みましたが、おいしかったです)


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海沿いに漁村が続きます。海の水もきれい。そうこうしている内に、川内町という集落にたどり着きました。


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最初はこのまま海沿いを進んで、脇野沢というところから海峡ラインという山道を走る予定でしたが、地元の人の助言もあり、この川内から渓流沿いにゆるゆると走ることに。

ということで、海とはしばしの別れ。川内ダムへと向かいます。

 

続きます。

 

 

 

ドミトリー・リスとウラル・フィルハーモニー at LFJJ

LFJの続きをしようと思っていたのが、忙しすぎて大分空いてしまいました。

ウラル・フィル、いいです。もしLFJ次回行く、という方、まだウラル・フィル聞いたことないという方、お薦めします。

ロシアのオケらしい、骨太な演奏、ドミトリー・リスの迫力ある指揮も相まって、毎回素晴らしいパフォーマンスを楽しませてくれます。

 

最初に聞いたのは、ベルリオーズ幻想交響曲。確か2011の"タイタンたち"だったでしょうか。

今回は木曜日のプログラム、"ワルツ賛"を聴くことができました。曲目は、

グリンカ:幻想的ワルツ
ハチャトゥリアン:「仮面舞踏会」から ワルツ
チャイコフスキー:バレエ「くるみ割り人形」から 花のワルツ
シベリウス:悲しきワルツ
ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」
ラヴェル:ラ・ヴァルス

 

という感じ。

 

いずれもそんなに長くない曲ばかりなので、退屈せずに楽しむことができました。

 

日経ビジネスに、ドミトリー・リスさんについての記事がありました。

 

business.nikkeibp.co.jp

来年も楽しみです。

 

 

 

 

LFJに行ってきました

La Folle Journee au Japon2017に行ってきました。

略してLFJ,なんぞやという方はまずこちらをご覧ください。

 

ラ・フォル・ジュルネ - Wikipedia

 

www.lfj.jp

wikiにもあるように、ラ・フォル・ジュルネ、とは「熱狂の日」と訳されてますね。2009年の"Bach is back!"から行っているのでかれこれ9回にもなります。

きっと、行ったことのある方も多いのではないかと思います。

 

今回のテーマは"La Dance"舞曲の祭典ということで、クラシックのなかでも舞曲形式の曲を中心としたものとなっていました。

 

今回も何公演か聞くことができたのですが、なかでもリシャール・ガリアーノバンドのプログラムがとても良かったです。

大好きなピアソラの、"ブエノスアイレスの秋・春"に始まって、最後はヴィヴァルディの四季から、冬と夏。

ピアソラはタンゴですが、ガリアーノはミュゼット奏者。似ていますが、使っている楽器もバンドネオンアコーディオン。でもミュゼットもタンゴもまさにダンスのための音楽。フランスとアルゼンチンという違いこそあれ、中に流れるスピリットは同じものなのかもしれません。

久しぶりにピアソラを生で聞くことができたのですが、やはり曲の持つ迫力に背筋が伸びる気がしました。続いてのOblivion(忘却)、Escualo(鮫)も良かった…とくにOblivionピアソラの中でもベスト5に入るので、本当に聞けて良かった。

既存の、昔ながらのタンゴをある意味破壊し、再創造したピアソラは、当時のアルゼンチンでは「タンゴ殺し!」といわれて、批判されることも少なくなかったようですが、少し前から日本でも、例えば小松亮太さんをはじめ、若手のバンドネオン奏者が出てきたりしています。そういったこともピアソラが居なければ決して起こらなかったでしょう。

ヨーヨーマが、"Soul of The Tango"でピアソラの曲を取り上げたように、クラシックのアーティストたちもピアソラの曲をアレンジして演奏しています。クレーメルなども"Tango Ballet"など何枚かピアソラ曲のアルバムをリリースしています。当のピアソラ自身、チェロの巨匠ロストロポーヴィチに"Le Grand Tango"という曲を献呈しています。

 

最後にアンコールで、"マルゴーのワルツ"を演奏してくれました。ミュゼットがあくまでフランスの大衆向けのダンス音楽に留まった(と言っていいのか、そこまで言い切る知識はないのですが…)のに対し、タンゴはコンサートホールでクラシックのアーティストが演奏するものになった。一人のアーティストの存在がかくも大きな影響を与えるのかと思うと、感慨深いものがあります。

もちろん、"ピアソラのタンゴ"に限っての話、とも言えますが…ピアソラを入り口に、タンゴのもっとコアな世界に足を踏み入れた人も少なくないはず。(僕もその一人です)

機会があったら聞いてみてください。きっと、新しい世界が広がるはずです。

(あとミュゼットも…よくパリのお洒落音楽的なパッケージで売ってたりしますが、本当にキレッキレのミュゼットを聞きたければ、お勧めはこちら

www.amazon.co.jp)

そしてLFJといえば外せないのが、ドミトリー・リス率いるウラル・フィルハーモニー。今回は2公演を聞くことができました。

 

また次回に続きます。
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リシャール・ヴィランク

ヴィランクが好きだった。

 

千葉に越してきて、自転車好きの友達ができた。

その時まで、僕は自転車について殆ど何も知らなかった。

 

ロードレース、ツールドフランス、チューブラー、W.O.etc.

 

それらが、確かに僕の人生を変えた。

 

その頃はミゲール・インドゥライン、バスクの巨人と言われた男の全盛期だった。

穏やかな人格者、という評判の彼に立ち向かうのは、キアプッチ、ツェーレ、ロミンゲル、そしてヴィランクだった。

 

他にもチッポリーニ、オラノ、パンターニ、ジャラベールという名選手たちがいた。

 

その誰よりヴィランクが好きだった。名門フェスティナのエースとして毎年マイヨ・ブラン・アポワン・ルージュを着て、山での存在感はインドゥラインに負けなかった。

ステージを取ったときには、唇に指を当て、天に突き上げるポーズ。

子供のような輝く笑顔を見せるヴィランクは、フランスの英雄だった。

 

その彼の名が、世界的に知れ渡った。それも最悪なことで。

フェスティナ事件、1998年のツールドフランスの最中、フェスティナはチームぐるみでドーピングをしていたことが発覚。選手たちは無実を訴えたが、チームはツールから撤退。他の選手たちがドーピング使用を告白する中、ひとりヴィランクは潔白を主張しつづけたが、2000年にやっと告白、制裁を受ける。

この事件で自転車レースとドーピングとの深い関係が明るみに出、今日まで続くアンチドーピングの戦いが幕を明けたとも言えるかもしれない。

 

その後ヴィランクは、ポルティ、クイックステップと移籍し、2004年には7度目のツール山岳賞を取り、同年引退。

 

今になって、当時の多くの選手がドーピングをしていたことが明らかになっている。ポイント賞常連のツァベルや、インドゥラインの連覇を止めたリースなど。

 

現在に至るまで、自転車レースは様々な改革を行っているが、残念ながらドーピングは絶えない。

 

クリーンなスポーツであってほしいという願いと、素晴らしいパフォーマンスをみたいという願いは、相容れないのだろうか?

 


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今回、Instagramヴィランクのアカウントがあり、フォローしたことで、いろいろ思い出して書きました。年をとって、白髪も増えたヴィランクはしかし、あの頃と変わらない子供のような笑顔でした。